マッシュの趣味日記(改)

北海道を拠点に駐屯地祭を巡ったりパトカーや消防車など緊急車両を撮影したり1/144と1/700をメインに模型を作っている船乗りの端くれです。

2018年03月

皆さん、こんばんは。


ここ最近、新製品の発売、新車の配備 配置転換、いろんな情報を聞いたり見たりで追い付けていないです…


本日紹介するのはこちら



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所属:ロシア連邦保安庁極東連邦管区地域国境局 サハリン沿岸警備国境局 船名:ユジノサハリンスク

ロシア連邦保安庁の警備艇 ユジノサハリンスク(026)です。旧名はPSKR-918

スヴェトリャク型警備艇ですがその中でも10410型と呼ばれるタイプです

1994年就航
船体に書かれている文字の意味はCoastGuard 沿岸警備です。


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艦首砲はAK-176
口径76mmで対空射撃も可能な速射砲です。有効射程が約15km 発射速度は毎分約120発

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艦尾にはロシア版CIWSのAK-630M
口径30mmの6連ガトリング砲 発射速度は毎分約5000発

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艦橋を正面から

レドームにキリル文字など日本船とか違いがありますね。


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艦尾
本型は対潜装備や魚雷を装備していたそうですが今は取り外しているそうで


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常時ここから排煙していましたが発電機の排気でしょうかね?

ちなみに本船 よく根室沖で見られるそうです。
巡視船とにらみあっていることもしばしあるとか

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日露合同訓練で小樽港に寄港していて海保の巡視船つがると一緒に撮影できました。



一般公開も行われていましたが私は学校があったので行けず… 同じ小樽にいながら行けないのはとてもつらかったです。

2016年6月撮影

みなさん、こんばんは。

3月も半ばになりだんだん雪融けが進んだと思ったらまた雪… はやく融けてほしい…



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所属:千歳市消防本部千歳市消防署 支笏湖温泉出張所 コールサイン:ちとせ106

千歳消防 支笏湖温泉出張所所属の千歳支援車2号です。


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平成29年度特定防衛施設周辺整備調整交付金事業により更新され昨年12月に配備された車両です。T32エクストレイル後期型の消防車両は初撮影です。前任はパジェロイオでした。


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前面警光灯はフォグランプの位置に設置されています。主警光灯には標識灯がありますが表記はありません。

各種災害の後方支援などを行うそうです。

対応してくださった支笏湖温泉出張所の皆さま、ありがとうございました。

みなさん、おはようございます。

最近は少しずつ暖かくなり、雪融けも進みつつありますね。


昨日、ホビーサーチのTwitterを見たら

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エフトイズからニッポンの働く車キット2の情報が出ていました!

空港用化学車とMVFは前回と同じですがなんとはしご車が新規金型で出ます。
いやー 嬉しいです。 トミーテックのトラックコレクションのFJ型はしご車は今ではヤフオクなどで3000円とか高くて… さらに、FJ型はしご車はあまり配備数が多くないですからあまり馴染みがない車両でしたが今回発売されるはしご車はモリタのMLL(H)4-30S 通称 MH-Ⅱと言われるはしご車
日本全国に配備されていますね。

空港用化学車とMVFも前回とは違うカラーバリエーションのラインナップで空港用化学車には海上自衛隊表記のやつもあるようで


5月頃の発売だそうです。






それから
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先週からMVFを改造して化学車Ⅱ型を製作中です。 第3弾あたりで普通のレッドアーマーのタンク車が発売されて改造が無駄になるような気もしてちょっと怖いです(笑)

皆さん、こんばんは。



いつか油田を堀当てて俺は石油王になってウハウハな生活をしたい。
と、1度は考えたことはあるだろう夢

日本ではなかなか聞かない油田ですが、かつて石狩にもありました。


江戸時代末期の安政5年(1858年) 幕府箱館奉行所石狩詰所の職員が石狩の厚田望来の海岸で油の浸出を確認し調査したところ山中に油田を発見したのがはじまりです。

明治12年に俊別(現在の春別)で試し堀りが行われたが失敗

明治22年に北海道鉱山会社が油田の権利を得る

明治36年 インターナショナル・オイル・カンパニーが本格的な開発に着手し俊別や五の沢で鉱脈を発見 採掘が開始

明治44年にインターナショナル・オイル・カンパニーは日本石油株式会社に油田を譲渡
この年には現在の札幌市手稲に北海道製油所を作り製油工場やタンクが作られました。

油田から約30kmある製油所までは油田から石狩川河畔までパイプラインで油送し石狩川は艀で運搬 そして手稲までパイプラインでした。

大正10年には厚田で試し堀りをしていた宝田石油株式会社と合併し事業拡大をはかる

昭和3年 石狩川河川敷両岸に送油塔を建て空中にワイヤーを張りそこにパイプラインを作り油田から製油所まですべてをパイプラインで繋げました。

昭和4年 石油の採掘は年産10271キロリットルに達しピークを迎える

188の油井の櫓が建っていたそうで櫓のような物が茂みの中に見えました (もしかしたら送電線の鉄塔かも?)

従業員は約250名となり社宅や寮が出来、学校や店など町も出来ました

昭和8年 新規採掘を中止

昭和10年にはピークの半分しか採掘されず従業員も減り

昭和16年 政府出資の帝国石油株式会社が設立され引き継がれた


昭和20年 米海軍艦載機による空襲を受け工場 タンクが攻撃されました。
この空襲によってタンク7基が炎上し3日間燃え続けたそうです。

昭和23年 産出量は年産1800キロリットルまで減少

昭和34年には帝国石油から北宝石油鉱業株式会社に移り変わるが
昭和35年8月に採掘が終わり石狩油田の歴史は終わりました。

集落もなくなりいまでは無人です

年表は石狩市のHPや図書館などで調べました。



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現在 、石狩油田 八の沢鉱業所跡地には石碑が建てられています。

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昭和23年頃の八の沢の見取図


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この石碑の位置から数百m上へ上ったところに大きな退避所兼駐車場があります



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かなり草が生い茂っていますが先人が通った跡がありそこをたどると

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な、なんだこれは…

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いまでもポコポコと石油や天然ガスが湧いていました。
辺りは石油臭が漂っています。


いまでも少量ながら石油は湧いているようです。渇れていたわけではなかった石狩油田 このように湧いている箇所が複数あるようです。

画像の場所はロープで規制されていて立入禁止の看板もあり規制されている手前から撮影していますがロープ内に足跡などがありました…


ちなみにここへは道道527号から普通林道五の沢線で行きます。
この林道 舗装はされていますが道路幅が車1台分しかありません。退避所が所々にありますが通行には注意が必要です。あと熊も出るので まぁ熊はどこでもいますが…

石狩油田は石狩遺産にも認定されているようです。


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こちらは石狩市厚田の無煙浜にある厚田油田の油井跡でしょうか?
フェンスに囲まれU字溝を被せられています。
廃墟(廃墟と言っていいのか?)ではありますが道路から油井跡まではしっかりと草が刈られていていました。

厚田油田は昭和6年(1931年)に産油を開始
最盛期でも1日にドラム缶2本分ぐらいと産油量はかなり少なかったとか。

石狩油田の閉鎖の次の年の昭和36年に閉鎖されたようです。


砂浜のほうに行くと こちらも石油や天然ガスがいまでも涌き出ているようですが大きな水溜り(油溜まり)がありそこまで行く装備をしていなかったので断念 今年中にリベンジしてみたいと思います。

あんまり記事にしていませんがけっこう廃墟や史跡巡りは大好きです。

皆さん、こんばんは。

先日は11℃まで気温が上がりましたね 暖かいのは良いですが雪がとけて道路も歩道も海のようになっていましたね…


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所属:札幌市消防局北消防署 コールサイン:北18

札幌北消防署の支援工作車です。
平成26年度配備で艤装は二二商会


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先代の支援工作車Σシステムの後継車であり先代はトレーラー式でしたが更新車両はダブルキャブの箱型トラックになりました。


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荷台の中身の資機材はほとんどΣシステムからの載せ変えらしいです。

ガルウイング式のハッチは先代と同じですね。
北消防署に配備されているのは特殊災害用で除染テントや防護服などを搭載しています。


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後部のハッチを閉じた状態
ハッチにも補助警光灯が2つありますね。

運用は水槽隊が兼任です。

支援工作車は今は5台配備されていて北、中央、豊平、厚別、清田管内の配置で、厚別と清田の2台が平ボデートラックで自立昇降型コンテナという油圧式ジャッキがついたコンテナ積載型で他は画像の北18と同じタイプです。

荷台(コンテナ)の中身は北、中央、豊平が特殊災害用 厚別が危険物災害用 清田は林野火災用です。


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こちらがトレーラー式だった支援工作車Σシステム(画像は中央18)

おそらく日本で唯一のトレーラー式の消防車だったと思われます そもそも中型トラクターなんて運転免許試験場ぐらいでしか見かけませんね

配備当初は各署に配備されていて災害によって牽引するトレーラーを選んで出動していましたが、だんだん減りトレーラーとトラクターの数が同じになりトラックに更新が進み先日、最後のトレーラー式だった中央18が更新されました。

トレーラーだと牽引免許が必要だったり運転も大変で3人しか乗れないなどいろいろあってトラックになったとお聞きしました。

最後に撮影に対応してくださった北消防署の皆さま、ありがとうございました。

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